友達がいない人、自分には友達がいないと思っている人は、おそらく多いと思われる。
株式会社クロス・マーケティングが2025年1月に社会人を対象として行った「人間関係に関する調査(2025年)」というものがある。
その結果、「友人がいない」と回答した人は全体の30%、さらに「親友がいない」と答えた人は53%だった。
<参考>友達がいない社会人は多い?データから社会人の友達付き合いを紐解く
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友達いない大人は普通なのか?をこの多様性社会で論じることは無意味だ
つまり、現代社会において「友達がいない人」は特別な人種ではないのだ。
ただ、「友達がいない人」すべてが寂しく思っていたり、友達が欲しいと悩んでいるとは限らない。
実際、私には友達がいない(いないと思っている)のだが、特に生活にも人生にも支障はなく、それに関して「ああ、友達が欲しいなあ」などと思うことは一切ない。
この記事をご覧になっているあなたは、大別すれば以下に示すどれかの立場に当てはまると思う。
①自分自身に友達がいないため、何とかしたいと思って、情報を探している
②自分自身に友達はいないが、それを正当化し「友達がいなくても大丈夫な理由」を探している
③自分には友達がいるが、何らかの事情により「友達がいない人」の生態について知りたい
③の場合は例えば、小学生の子どもに「友達がいない」、または、付き合っている彼氏・彼女に「友達がいない」ようだが、これって大丈夫なのかしら?などと心配している人などが考えられる。
どの立場であるとしても、わざわざ検索をして調べているのだから、何か切実な悩み、解決しなければならない問題があるのだろう。
「友達がいない人」というキーワードに対して、社会倫理思想的なアプローチを行い、「友達がいない人は善いのか、悪いのか」という観点で問いへの答えを導き出したいと思う。
友達いない人が不幸かといったら、それは大きな間違い
「友達がいない人」と聞いて、どういう印象をうけるだろうか。
- 暗い人
- さみしい人
- みじめな人
- かわいそう
- 変人
人それぞれ思うところはあるだろうが、どれも正解のようであり、不正解のようでもある。
当然のことながら、「友達がいない人」にもいろいろな人がいる。
前述したようなマイナスイメージを持った人も確かにいるだろうが、私のように「明るく元気で、とても幸せに暮らしているけれど、友達がいない人」という人種も確かに存在しているのである。
「友達がいない」ことは決して悪いことではないと思う。
「友達がいる」のと同様に、善いこともあれば、悪いこともあり、メリットもあればデメリットもある。
重要なのは、「あなたにとってどういう生き方が望ましいか」である。
「友達がたくさんいる、心が通じ合った親友がいる」人生が望ましいというなら、それも善いだろう。
逆に「友達なんぞいらんから、一人で自由に生きたい」というなら、その道を突き進めば善い。
友達を作る、作らないというのは、ひどく個人的な問題だ。
日本の法律に「何人以上友達を作らなければならない」という条文はない。
丸一日誰とも会話をしなくても、時々、友人と飲みに出かけなくても、誰も怒らないし、罰せられることはないのだ。
その前提の上で、私の主張を述べるとするならば、「友達なんていらない。友達のいない人生こそ最高」だと本気で思っている。
「いいぞ、良く言った!」と拍手喝采する人もいれば、「バカいってんじゃないよ」と蔑む人もいるだろう。
それで何も問題はない。
評価は個人の自由だ。
ただ私個人は、「友達はいらない」そう考えていることを覚えておいて欲しい。
群れることの煩わしさとデメリット
私は学生時代から孤独を愛していた。
小中高といわゆる「学生時代」は、「友達づきあい」が重要なウェイトを占める年代である。
人間、集団に放り込まれると、自然に気の合う仲間と集まって「群れ」を作る。
そして群れ同士で行動し、時に群れ同士で争うこともある。
良くも悪くも「群れ」単位で動くことを強制させられるのだ。
「群れの総意」もしくは「群れのリーダーの考え」を基本に、日本人の大好きな同調圧力によって、群れの行動は決まってくる。
そこで異を唱えたり、違う行動を取ろうものなら、その人は「裏切り者」であり、もれなく仲間はずれ・村八分の刑に処せられる。
「赤信号みんなで渡れば怖くない」という言葉が象徴するように、人は群れて数が多くなると、自分がなんだか強くなったように錯覚する。
自分と考えを同じにする同胞がいるという強み、単純に「これだけの数がいれば負けない」という安心感は、「個人の弱さ」を隠すには丁度良い隠れ蓑だからだ。
私は群れを嫌った。
大勢で固まって過ごすこと事態が嫌いだったし、過度なコミュニケーションも煩わしい。
休み時間の度に教室の一角に集まって、くだらない馬鹿話に花を咲かせているくらいなら、お気に入りの本を読んでいる方が楽しいし、有意義だ。
「群れ」に所属することは、様々な群れのルール・縛りに従属するということだ。
「群れ」は学校だけではなく、もちろん社会人になってからの組織や職場でも、当たり前のように存在している。
「群れる」ことに慣れてしまった人間は、いくつになっても「群れのなかにいること」が当たり前になってしまう。
果たしてそれは、「自由な生き方」と言えるだろうか。
私は、どの群れにも所属はしなかったが、群れに属しない自由人として「どの群れの人間とも対等に接する」ことができた。
それは、個人の自由を尊重しつつ、学校や会社といった「組織」の中で上手く立ち回るための、友好的な処世術だと考えている。
誰とでも仲良くしましょう教育の落とし穴
「友達100人できるかな」と歌う童謡がある。
小学校に入学する時分になると「僕、学校で友達100人つくるー!」と息巻いている子どもがいるが、私としては「それはやめておきなさい」とアドバイスしたい。
私には友達はいないが、「結婚」はしている。
友人は一人もいないが、妻も子もいるのである。
「友達がいない」ことと「結婚して妻子がいる」ことは、また別物であるのだが、これは別の機会に論述したいと思う。
小学生の子どもたち(我が家は3歳差の兄弟)には、当然、仲の良い友達がいる。
学校から帰ってきた息子たちの話を聞いて、仲の良い友達と楽しく遊んだ話を聞くと、こんな私でさえ「それは良かったねえ」と思う。
「友達がいない人」であることは個人の自由なので、私と別人格である息子たちが「友達がたくさんいる人生」を選んだとしても、それは彼自身の人生である。
好きなようにすれば良い。
問題なのは、この日本という国において「友達がたくさんいるのは良いこと」「友達がいない人はだめな人、さみしい人」という間違った概念が、一般常識として幼い子どもたちに刷り込まれているという点だ。
前述した童謡の歌詞は、その象徴のようなものだ。
「人たるもの友達がたくさんいなければならない」というある種の脅迫観念が幼い頃に植え付けられてしまったが故に、あなたたちは「友達がいないこと」に悩み苦しまなければならないのである。
教育の現場にて「無理に友達を作る必要はない、気の合わない人とは仲良くしなくても良い」という価値観を教えてくれる機会はほとんどないだろう。
だからこそ私たちは、「友達がいない人の価値、孤独であることのメリット」を知らぬまま、考えもしないまま、ただひたすらに「友達が多い=無条件に素晴らしい」という固定概念の中で、もがきながら生き続けなければならないのだ。
「友達100人できるかな」の問題点については、劇作家の鴻上尚史氏の著作「孤独と不安のレッスン」の中で触れているので、興味のあることは一読されることをおすすめする。
無駄な友達づきあいに無駄な時間を使わない
友達づきあいには、無駄が多すぎる。
少なからず、相手の要望に合わせる必要があり、自分の意思だけで行動が決められない。
友達と過ごす時間は楽しいと思う人は多々いるだろうが、よくよく考えてみてほしい。
「その時間は、あなたの人生にとって必要でしたか?」
よーく考えてみると、ただ無駄な時間を過ごしただけ、無意味なことに人生の限りある時間を浪費しただけ。
そう思ってしまうようなことも、少なくないだろう。
友達づきあいとは、複数の人間でお互いに無駄と非効率を共有することに楽しみを見出しているのである。
簡単に言えば「暇つぶし」だ。
一人で買い物に行った方が効率よく、買い物を進められる。
それでも友達と買い物に行くのは、「より良いものを買う」ことが目的ではなく、「友達と買い物に行くという名の無駄な時間を謳歌する」ことが重要なのだ。
友達といれば、どうしても他者の意思に流される。
自分のやりたいこと、必要なことだけを突き詰めて行動ができない。
友達と時間を過ごしていても「ああ、面倒だなあ」「早く帰りたいなあ」と思うことはあるだろう。
その思ってしまったら、その友達づきあいは、完全無欠の「無駄」である。
だが、多くの人間はそれに気が付かない、注意を払わない。
「友達と過ごすかけがえのない時間こそ素晴らしい」と盲目的に信じ込んでいるからだ。
彼らは、自分自身の大切な「孤独の時間」を浪費しているとも知らずに、今日も友達の誘いに乗って、人生を無駄にするのである。
友達いない人の悩みを発言小町・知恵袋の投稿から読み解く
人間の悩みは、大きく分けて3つ。
お金、健康、そして人間関係である。
発言小町やヤフー知恵袋などの掲示板には、よくその系統のお悩みが投稿される。
今回は、「友達に関する悩み」をピックアップして、その内容について考察を深めたいと思う。
①友達がいない自分に悩む50代主婦
発言小町の中に、このような相談があった。
「全く友達がいない人いますか?」
タイトル通りです。
私にはほぼ友達はいません。
学生の頃の友達はいないことはないのですが、もう2〜3年は会ってないです(多分私が声をかけて集まって以来会ってない)。
趣味があるので知り合い程度の人はいます。
夫や子供とは上手くいってると思います。
仕事の同僚とは同僚としての付き合いはあります。
歳をとってきたせいか、喋るのすら面倒くさくなっています。
自分から声をかけるのが苦手なのと、そもそも誰かと何かするのもあまり好きではないので、特に困っているわけでもないのですが、結局友達が全然いない私というのを自分で認められないだけだと思います。
友達がいない可哀想な人、と自分で自分を縛っているというか。
今更いい歳をして友達なんて出来ないでしょうし、知り合いと多少の触れ合いだけで済ませて家族と仲良くしていればいいのでしょうか。
50代の方の投稿である。
「夫と子供」と書いてあるので、おそらく女性だろう。
- 本人は自分に友達はいないと思っている
- 趣味が同じ知人がいる
- 職場の同僚はいる
- 結婚して夫と子供はいる
という現状。
要するに、「50を過ぎて、友達もなく、可哀想な人である自分はこのままでいいのだろうか?」という悩みだろう。
他人と「喋るのすら面倒」で「自分から声をかける」のが得意ではなく、「誰かと何かする」のも好きではないし、「困っているわけでもない」そうだ。
彼女は、そのそも友達と交流することを求めていないし、その素養もない。
明らかに「孤独を愛する人」である。
けれど、社会一般常識としての「友達がいないようなやつはダメなやつ」というレッテルを貼られることに不安感を覚えている。
「友達がいない自分」を認められない、「友達がいた方が良いんじゃないか」と心のどこかで思っている。
つまり「ないものねだり」をしている訳だが、実際「友達を作ろう」として行動し「友達ができた」としても、最終的にはそれを「煩わしいもの」と感じて、自ら離れていくに違いない。
確かに、常に共同生活をしている学生に比べれば、社会人は友達を作るのが難しいというのあるかもしれない。
ただ、自分の努力によって、そんなものはいくらでも打破できる。
何歳になっても、「友達を作ろうと思えば、作れる」のである。
「どうしたら良いでしょう?」などと、一人スマホで掲示板に質問を投げかけている暇があるなら、趣味つながりの知人や同僚に「今度一緒に遊びに行きませんか?」とメッセージの一つでも送ってみれば良いのだ。
それをしない、できないのだから、「友達などいらない、友達は持てない人間」なのである。
かといって彼女は不幸ではない。
自分にとって不必要なもの、いらないものを削ぎ落として、自分の人生を生きている。
夫がいて、子どもがいて、薄いつながりながらも知人や同僚がいて、毎日それなりに楽しく生きている。
これを「幸せ」と言わずして、なんと表現するのか?
自分は「自由な孤独を楽しみ尽くす恵まれた人」であると考えられるようになれば、今後の人生はきっと薔薇色である。
②友達が本当に0人の人っていますか?
こちらはヤフー知恵袋に投稿されたお悩みである。
連絡取りあったり会ったりする人が一人もいません。
30ですが数少ない学生時代の友達とも疎遠になり今友達0人です。
環境の変化で離れてしまったり私が若い頃に充実した友達と接するのが辛く自ら突き放してしまった友達もいます(突き放すというか断り続けたり連絡を無視してしまったりしていました)
今になってとても後悔しています。
学生時代の友達ってとても貴重ですよね…
一時期寂しさを紛らわすために知らない男性とホテルにいくというのを繰り返していました。
どこにいくにも何をするにも独り…周りを見れば友達や恋人同士、家族連れなどとても羨ましいです。
今からでも本当の友達ってってできるのでしょうか?
いまの孤独感はどうしたらいいですか?
友達いないと言っている人でも本当は誰かしらと繋がっているのではと思ってしまいます(友達とまでいかなくても話したり会ったりなど)
人と連絡取ったり誰かと待ち合わせすることが懐かしく感じるレベルでここ数年間誰とも繋がっていません。
同じような方いますか?
今後どうすれば友達はできますか?(同性でも異性でも構いません)
<出展>https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10304646825
30歳の女性。
友達がいないが、誰かとつながりたり、コミュニケーションを取りたい、できることなら友達が欲しいけど⋯というお悩み。
学生時代には友達がいたが、連絡を無視したり、突き放したりしているうちに、つながりが途絶え一人になった。
この時点で彼女は、「友達づきあいが煩わしい」と思って行動したのだから、間違ってはいない。
今になって「友達がいない」ことに焦りだした訳だが、いざ改めて友達ができても、結局は同じ行動をとって、友人との関係を断ち切りたいと思うに違いない。
彼女のとっては「知らない男性とホテルにいく」くらいの薄いつながりが限界なのである。
「友達」というつながりが強めの関係は、維持できない。
「友達づきあい」に向いていない人間なのである。
こういう方には、友達づくりではなく「婚活」を勧めたい。
友達より、「配偶者・家族」を持つべきだ。
彼女の悩みの源泉は「孤独であるが故の寂しさ」である。
その寂しさを埋めてくれるのは、友達だけではない。
恋人や家族でも良いし、考えようによってはペットでも良い。
そのどれかであれば、行きずりの男とホテルに入るより、よっぽど充実した人間関係(飼い主関係?)が築けるだろう。
私は彼女同様「友達は0人」であるが、妻がいて、子どもがいる。
いっちょ前に家庭を持って暮らしているパパである。
友達がいなくても結婚はできるし、パパにも、ママにもなれる。
いつ切れるかも分からない細い糸でつながっただけの友達より、家族の方がよっぽど扱いやすく、そして人生において有意義だ。
私が若い頃より、恋愛→結婚という流れに乗るのは、手軽になっているように感じる。
マッチングアプリが当たり前のように利用されているが、以前は、「こんなもの誰が利用するんだ。サクラばっかりだろうきっと」と思い込んでいた。
ところが、妻の知人が二人続けて、マッチングアプリ経由で電撃結婚してから、その存在意義を認めるようになった。
当初から「結婚をする気のある男女が、結婚を前提にお付き合いをする相手を探す」のだから、うまくマッチングできれば、労力を最小限に抑えながら、結婚というゴールにはたどり着ける。
親友を手に入れるより、一生添い遂げる伴侶を見つける方が、現代ではより簡単であると言わざるを得ない。
友達がいない人で不満?結局あなたは友達が欲しいの?欲しくなの?
そもそも友達とは何なのか?
- 利害を問わず、困った時に助けてくれる人?
- 気兼ねなく何でも話せる人?
- 一緒にいて楽しい人?
その定義は人それぞれなので、「これこれこういう人が友達です」とは言えないと感じる。
人それぞれの「友達像」があり、それに当てはまる人が友達だ。
もちろん、自分は友達だと思っていても、相手はそう思っていないという場合も多々ある。
そう考えると「友達」という人間関係が、いかに曖昧で脆いものかがよく分かる。
「友達関係」などというものは本来、個人の勝手な意思や行動によって、簡単に断ち切られてしまうようなものなのである。
友達がいなくて問題ないなら孤独を貫けば良い
私のように友達を必要としない、むしろ「友達はいらない」と考えるタイプの人間は、孤独の中にある自由を愛し、自分の考えや意思を重視できる点により「生きやすさ」を感じている。
正直なところ、友達がいなくて「寂しい」という感覚はない。
感じたこともない。
私は、フリーランスのクリエイターなので、昼間は一人でも黙々と作業をしているため、夕方に子どもや妻が帰ってくるまで、ほとんど誰とも会話をしない。
コロナの影響、リモート仕事が当たり前になり、テキスト連絡ですべての要件が済んでしまうので、電での通話もない。
それでも、寂しいという感情を持ったことはないし、孤独であることにマイナスイメージを持ったこともない。
むしろ、孤独は喜ばしい環境であって、非常に心地よい。
妻や子どもがいるんだから当然だと思う人はいるだろうが、彼らは家族であって、友達ではない。
私は「友達が完全にいない0人の状態」だが、一つも寂しくないし、この先の人生、友達が欲しいとも思わない。
友達がいなくて寂しいなら、現状打破するための努力をするしかない。
それでも友達が欲しいと願うなら、「友達を作るための努力」をするしか」ない。
前述した通り、学生だろうと社会人だろうと定年したシニアだろうと、「友達を作ろうと行動」すれば、できないことはないはずだ。
だが、今、友達がいない人は、「友達関係がないことの寂しさ」と同時に「友達づきあいがないことのメリット、自由さ」も知ってしまっている。
「友達がいない」ことは、人生を楽にする。
余計な人間関係や感情について考えなくてよい。
無駄な誘いや集まりに参加する必要がなく、自由に時間を使える。
交際費、飲み会費用など、無駄な出費も減らせる。
友達がいないだけで、こんなに魅力的なメリットを享受できるのだ。
友達断捨離をしないのは損である。
学生時代は、良くも悪くも「友達の時代」である。
青春真っ只中で友達を作り、その実態について経験しておくのも悪くないだろう。
親友との友情に涙することもあれば、友達の裏切りに心をずたずたに引き裂かれることもあるかもしれない。
そういった経験を糧にして、大人への階段を登る途中で「友達のいる人生」か「友達のいない人生」、どちらかを選択すれば、それで良いのだ。
私の人生において、2つの大きく有意義な存在だと考えられるのが
・在宅フリーランスを仕事にしたこと
・友達は0だが、結婚したこと
だと感じる。
個人の在宅フリーランスなので、会社組織で、上司や同僚との無駄なコニュニケーションがなく、「ありがたくない無駄な人間関係」に神経をすり減らさなくて済む。
友達という、曖昧で不安定な関係とは異なる婚姻関係という契約に基づく結婚、そして、血のつながった子どもたち。
こういった強固な人間関係は、人間が生きる上での土台としては申し分ない。
土台がしっかりしているからこそ、「友達ゼロ」の孤独な旅路を、安心して、淡々と進めていくことができるのだ。
「友達がいない」と悩んでいる人は、まず「結婚を視野に入れた交際を考えている異性」と関わってみるのが良いだろう。
友達を作るより、よっぽど簡単だ。
確かな人とのつながり、愛情という温かみ、家族という終の住処につながるワインディングロード。
スマホで伴侶が見つかる時代。
「友達」同様、無駄は極力排除して、スマートにスムーズに、結果を求めて行動するべきだ。
